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我が家には西武の旗があります

★ホークスとライオンズ

かつて、福岡が本拠地だったライオンズ。そして現在福岡が本拠地のホークス。16年前、南海ホークスが福岡へやってきてダイエーホークスとなった。私の両親、兄はライオンズファンだった。もちろん、西鉄ライオンズの名残で。私が物心ついた時にはもうライオンズは福岡から去っていた。でも小さい頃、年に数回ある平和台球場での西武ライオンズ戦には連れてってもらったことがある。その頃は野球なんて意味わからないから、後ろの方で走り回ってた記憶しかないのだけど。
今でこそ野球大好きだけど、小さい頃は嫌いだった。好きなアニメが野球中継でいつもなくなったり、父親がナイター見るっていって見たいテレビ見られなかったりとか。だから、父親が応援してるライオンズもあんまり好きじゃなかった。そしたら、私はいつから野球を見るようになったんだろう?ぜんぜん覚えてないけど…甲子園は小学生の頃から見てた。PLの清原・桑田の人気がすごくって、そこらへんからの記憶はある。で、アニメの「タッチ」も「がんばれタブチくん」も大好きだった。
中学生の頃にダイエーホークスが福岡にやってくる。私は何か知らないけど、地元チームができたから応援しないと!って思った。でも、まあその頃はテレビでちょろっと見るぐらいで。真剣に応援しだしたのは、監督が初代の杉浦さんから田淵さんにかわった時から。「あのタブチくんが監督だ!」って、なんか嬉しかった。そして高校の頃、初めてダイエーの試合を見に行く。場所は北九州市民球場。小倉駅からモノレールに乗って球場まで。入場して、階段を上って、バァーッって飛び込んできたライトに照らされるグラウンドとにぎやかな歓声。ものすごくワクワクしたのを覚えてる。試合はたしか負けたんだけど、また行きたい!って思うようになって。それから高校の友達に野球好きな子がいたんで、一緒に平和台へ通うようになった。その当時は、今ほどの人気はなかったけど、西武戦はやっぱり盛り上がってた。1塁側がホークス、そして3塁側がライオンズの応援団。きれいにふたつに分かれていた。やっぱり西鉄時代からのライオンズファンもかなり多かった。西武もその頃は清原、秋山、工藤とかスター選手もたくさんいたし、なんか華やかだった。家では、父親と私と、ナイター見る時は別々の部屋で見たりして、かなり険悪だったなあ…。3年の田淵監督時代もずーーっとBクラス。弱い弱いホークスだった。今でも鮮明に覚えてるのが、田淵監督最後の年、3位になるか、4位になるかが決まる最後の試合があって、それラジオか何かでものすごい応援してたんだけど、結局負けてしまって、悔しくて泣いてしまった。Aクラスを逃して泣くなんて…今だと笑い話よね。そして次にドームができて、根本さんが監督になって、あの衝撃のトレード。大好きだったホークスの主砲・佐々木とエースだった村田が出ていくのが悲しくて大泣きしたのを覚えている。みんなは秋山・工藤がきて嬉しいって言ってたんだけど、ほんとに切なかった。ドームでの西武対ダイエー戦、半々だったファンは気づくと9割方ダイエーの応援をしていた…。
結果的にこのトレードは大成功だった。城島が育ち、小久保が育ち。これがなかったら今でもホークスは優勝できてなかったかもしれない。なんだか複雑だけど、ライオンズとホークスってとても因縁めいたものがあると思う。大越と宮地の事もね…。ダイエーもとうとう身売りしてチーム名変わって、西武もゴタゴタで行く先どうなるかわかんないけど、これからもライオンズはホークスの永遠のライバルだと思います。
去年のプレーオフはほんと悔しかった…。今年は絶対ライオンズを倒してホークスが優勝しますように!!



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